前職の先輩から、メールをいただきました。この⽅は、永くコピーライターとして博報堂で活躍、定年退職を数年前にされている⽅です。私のコーチングの仕事に関⼼を持ってくださって、いろいろ質問のメールでした。お返事にお答えしたことをここにご紹介します。

 

早速に「コーチング」解説、ありがとうございました。
そうか・・・、コーチとは「寄り添い⼈」なんですね︕
盲⼈ランナーに伴⾛する⼈を連想しまし・・・、不適切ですか︖

 

コーチングの関係を、盲⼈ランナーと伴⾛者にたとえるのは適切ではありません。コーチとクライアントとの関係はイーブン、対等です。病⼈や障害がある⼈を看護、介護することは違いますので、先輩のおっしゃる「寄り添い⼈」と⾔う表現は、⼀⾯を捉えていますが、保護者ではないのです。あくまでクライアントは、とくに精神・⼼の⾯では、ひとり⽴ちしていなくては、コーチングは始められません。
コーチとクライアントは、先⽣と⽣徒、上司と部下など、上下の関係ではなく、横の関係ですので、クライアントを案内して導くということではありません。
⽬的(⾏先)について選択肢を⽰すことは可能ですが、⾏先をコーチが決めることはありません。仮に、ランナーに伴⾛しているとしても、あくまでサイドからで、ランナーの前に出て、指し⽰すことはありません。

 

しかし・・・しつこくて済みませんが「コーチング」は、ビジネス・職業になるのですか︖ それも、⺠⽣委員、ボランティアなのですか︖
これが今⼀、分からないのです︕

 

コーチングは、いまプロのコーチがドンドン誕⽣している事実からはビジネスとして新しい職業になってきているとは⾔えましょう。
⽇本で、資格(⺠間機関で、国家資格ではありません)を得ているコーチは1000⼈は越えているはずです。 もちろん、全員がプロとなっているのではなく、コーチングスキルをもちいて、企業や組織で業務に就いたり、セールスに応⽤したり⽇常⽣活でもコーチング的会話が役だつ場⾯はいくらでもあるはずです。
ただ、コーチングの会話は、極めて意思的で、⾮⽇常の会話です。 “さあ、コーチングをしましょう。” “では、お願いします。”という断りがあっての会話です。 いつの間にかコーチングするという、催眠術的仕掛けではありません。

 

ビジネス・職業」になるとしたら、どんなところが得意先になるのですか︖
「⺠⽣委員、ボランティア」としたら、どんな活躍の場があるのですか︖

 

アメリカでは会社経営者や、政治家にはコーチがついているケースが⼤変多いようです。ゼネラルエレクトリック社の元CEOのジャック・ウエルチ⽒に27才の⼥性コーチが居たという話はコーチングが注⽬された初期のかなり有名なエピソードです。
その後、⽇産のカルロス・ゴーン社⻑が、⽇産再⽣の答えは、⽇産の中にすでにある、競合他社の中ではないといい、⽇産の管理職に必須のスキルとして研修にコーチングを導⼊、⽇本ではコーチングの草分けの企業であったのです。
⽇本でも、コーチをつけはじめている経営者は増加しています。 コーチがついているという経営者は、会社がうまくいっています。 そして、コーチがいるということがステイタスにもなってきているのです。
企業のトップが⾃らコーチについているとしたら、その下の管理職の研修の効果成果はやはり格段に上がるでしょうから。 ただ守秘義務がありますから、コーチの側から、だれそれをコーチしていると表明することは絶対ありません。 了解があればもちろんいいのですが‥。
1週間30分の電話によるコーチングセッションで、費⽤は⽉額3万円から5万円が相場です。 ⽉に30万円振り込んでくれるクライアントを持っているという先達コーチもいます。 僕も早くあやかりたいものです︕
⺠⽣委員や⽼⼈介護の⽅が、コーチングのスキルをもちいて業務すれば、その効果はたいへんにあるとはいえます。 病院の看護師、学校の先⽣、⼈に接する仕事では、コーチングの考え⽅、スキルはきっと役に⽴ちまさす。
そして、どんな仕事であれ、⼈間関係の改善がされることは間違いがありませんから。職場では、リーダーシップの育成に、⼀番むいているといえます。 ⼈事の研修では外部インストラクターとして、コーチが、研修講座や講演することが多くなっています。

 

コーチングは「ひたすら相⼿の話を聞くことが命」とありましたが、これから思うことは、「コーチ⾃⾝の⼈間修業でもある」ですね︕
そう思った理由・・・昔「⾃分は良く⼈の話を聞いている⾵だが、まったく聞いていませんね」そう看破されたことがある・・・広告マンという習性でしょうか。

 

お⾔葉ですが、“広告マンという習性”と⾔う⾔い⽅は修正︕の必要がありそうですね。 コーチは、職業としてではなく、「まず存在としてのコーチ」であるとは、⾔えるでしょう。 ですからコーチは厳しい⾃律性と道徳性、⾃⼰認識を絶えず促がされる、難しい職業ではと最近思っています。
つまり、クライアントにとっての、⼀番⾝近な「モデル」としてコーチは捉えられる可能性が⾼い、かもしれないからです。
これまでコーチ仲間として知り合った先達、同輩、後輩の⽅々は、少なくとも僕の⽬には「コーチに悪⼈なし」とは断⾔できそうです。 完璧な⼈かどうか、それは、たぶんありえないでしょう。

 

今⼀つ、コーチが向き合う⼈を「クライアント」と⾔うらしいですが  広告業界出⾝は、相談者ではなく、「得意先」と⾃動的に思ってしまう  この辺も、私の理解しにくい原因かと思いました。

 

クライアントといったり、プレイヤーといったり、コーチーともいいます。 「主役」と⾔うコーチもいます。 いずれも、会話で話をする側、お客の⽅を指します。
クライアントと⾔ういいかたは、あまりイメージが掴みやすいとはいえませんね。 しかし、主役もなかなか‥。 ⼈の話を聴く⾵だが、ですが、「ふり」をしている、とは、昔、⼩川ショーを永く務めた、フジの⼩川宏アナウンサーが、「⾃分はインタビューを何百何千もしたが、話を聴くふりをしていたのだ。いつも時間を気にしたり、質問を考えたり、締めに向けてエンディングになんと⾔おうかなどと思っていて、決してゲストの話を聞いていたのではなかった。」と告⽩していました。
コピーライターの取材姿勢もややにていて、⾃分の⽂脈、筋書きで⼈の話を聞くということだったと先輩はいいたいのでしょうか。
“もって他⼭の⽯”、「傾聴」⼀つとっても、レベル1からレベル3まで、という捉え⽅もあって、ホントのところ、並ではないのです。 お⾦頂く以上は‥
フツー⼈の「コーチ感」が貴兄のお役に⽴てばと思い・・・ご無礼︕

イエイエ、あらためて、原点に返って、コーチ像を確認できました。 追伸 あらためて、“「ひとの話を聴く」コーチ”を仕事にするようになって、さらにその難しさは増すばかりです。
草分けコーチの、野津浩嗣ICF国際コーチ連盟マスターコーチも「コーチ道、⼊り⼝あって出⼝なし」と、研修時に私に漏らしていました。 全く同感なのです。 今⽇は、これを書いて私も「振り返り」になりました。 ありがとうございました。
また、お便り下さいね。 では。